作家、柚月裕子さん(51)。「臨床真理」や「検事の本懐」「孤狼の血」など骨太のミステリーを次々発表し、幅広いファンを魅了しています。その原点は、子育てが一段落した主婦がおそるおそる踏み出した一歩でした。歩みをひもとくと、丁寧な日常が浮かび上がります。
――もともと活動的な子だったのですか?
子どものころの自分は、自ら進んで何かをするというタイプではなかったように思います。私の生まれは岩手県ですが、会社員だった父の転勤が多く、私も何度も転校しました。
今みたいにネットがなかったので、かつての土地の友人と連絡を取るため、一生懸命手紙を書きました。「字の間違いがないかなぁ」とか思って母に読んでもらうと、「裕子、お手紙書くの上手ね」とか必ずほめてくれたんです。
父も母も本が好きで当たり前のように本がある家庭でした。文章についても本についても決められたり、止められたりしたことは少なかったです。私が今、文章をつづる仕事を選んだのも、幼いころの私を認めてくれた母の存在、その一言は非常に大きかったんだと思います。
――作家になろうと思ったのは何歳ごろのことでしょうか。
私は21歳で結婚しました。早かったですね。父の転勤で山形に引っ越し、夫と知り合いました。子どもにも恵まれ、「穏やかな家庭を築ければいいな」と、多くの人が抱く結婚のスタイルが漠然の頭の中にありました。作家になるなどということは一切考えていませんでした。
夫も転勤があるので、私は子育て中心の専業主婦。そのときは読むほうでした。子どもが小さくて時間が取れないときは阿刀田高さんのショートショートとか短編集をよく読んでいました。
上の娘が中学に上がった30代半ばに、山形で2年ほど事務のお仕事をしていたことはあります。もちろん、言われたことはするんですけど、自分には合わなかったですね。そのころ、新聞で小説家養成講座の存在を知りました。著名な作家や編集者が来て話を聞ける。運がよければマンツーマンで原稿を読んでもらえるというので、「絶対行く」って言って通い始めたんです。
人生って、生まれれば誰かの娘、弟や妹が生まれたら誰かのお姉ちゃん、そして結婚すれば誰かの妻、子どもを持てば誰かの親。いろいろな肩書や立場を最優先しないといけない時期があると思います。私もそんな暮らしをしてきましたが、子どもが手を離れてだんだん、「私」の意思で「何かをしてみたい」が少し出てきた時期だったと思います。当時は「あ、行きたい行きたい」だけでしたが、振り返れば、自分から外に一歩踏み出した初めての時期だったんじゃないかな。
でも踏み出したときは怖かったですね。ずっと親の元にいたり、専業主婦だったりしたので。
――それでも何となく自信はあったということでしょうか?
自分で自信を持つということは私はできません。ナルシシストと自信家は似て非なるものだと思うんですね。どっちも自分に自信がありますが、ナルシシストはあくまで自己完結。自信というのは、誰かが認めてくれてはじめてつくものなんです。他人不在では自信はつきません。私はいろんな方に言葉をいただいて、少しずつ「あっ、大丈夫かな」とちょっと自信をいただいて、次のステップに行くという過ごし方をしてきています。
小説家養成講座で、リップサービスだとは思うんですが、志水辰夫さんが「この人、頑張ればいいところまで行けるんじゃない?」と言ってくださったんです。「こんなにほめられたのって、母親の記憶以来かな」というぐらいうれしくて。
私は単純なので、ほめてもらうとどんどんその気になるんですね。講座で認めてもらったから、次は地域で認めてもらおうと地元の山形新聞社の山新文学賞に出したら、ありがたいことに賞をいただいて「あぁうれしい」。で、「今度は全国だ」。単純でしょ。それでいろいろな文学賞を見て「このミステリーがすごい! 大賞」がジャンル・間口が広くて、ネット上で2、3行のコメントがもらえるので応募先に選びました。初めて投稿した長編「臨床真理」がデビュー作となって、今に至ります。
――警察や将棋など実生活であまりなじみがない世界を書いておられるのが驚きです。
(それらの世界のことは)全く知りません(笑い)。私は子どものころ、悩みも多く本を開いた世界の中に入って想像することで救われていた時期があったんです。現実はこうだけど、例えば「もし、私がどこかの国の女王であったらどうかなぁ」とか想像して過ごして救われてきたことがあり、知らない世界を書くことにそんなに抵抗はないんです。逆に、自分が知らない世界を描くことによってそこに自分の本心を埋め込めるかなと思います。
あまりに自分に近い世界だと、そこに自分自身が入り込んでしまいかねません。そうなると話に広がりが出ないんじゃないかと。私小説なら別ですが、多くの方にきちんとストーリーを楽しんでいただいて、なおかつ自分が伝えたいことや考えていることをその中に上手に並べていくには、やはり一定の外からの目線が必要だろうと思います。
――こういう人生になると想像していましたか?
いや、まったく。「臨床真理」を投稿したときも、「デビューできる」とか「デビューしたい」というより、それこそ「ほめられたい」だったんじゃないでしょうか。幼少期からずっと、自分の中でなかなか言葉にできなかったことや、価値観といったものを正直に表現できるのが、自分にとっては好きな小説だったんだろうな、と思います。
今となっては、一日でも長く、作家でいたいと思います。いろいろな賞で認めてもらうことがあって、その都度ちょっと自信をもらって「私、このまま書いてていいんだ」「まだ書けるんだ」。そしてまた誰かにほめていただいて、「あ、まだ書ける」って安心する。その繰り返しですね。
――そうして少しずつ進んでいる…
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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル